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暗君・今川氏真。桶狭間の後に受けた屈辱。…でも見方を変えれば、彼は戦国の名将!

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戦国時代といえば、誰もが知る名将・名君もいれば、誰もが嗤う愚将・暗君も存在します。

私も現在30代の元少年として、小学生のころ戦国時代の興味を持ったのは、御多分に漏れず、KOEIの歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」でした。

KOEIのゲームから戦国時代、そして三国志へ…そんな方多いのではないでしょうか?

天下の暗君・今川氏真

信長の野望、というぐらいですから、当然、あの織田信長に視線が集まります…。「最初は信長でプレーしてみるか」というプレイヤーも多いはず(私もそうでした)。(そのうち、真田家や鈴木家などという”風前の灯”家で無双していくことになります^^)

すると、自然と、最初のイベントは今川義元を打ち取る桶狭間の戦いになります。

ゲームでは、完全にやられ役の今川家ですが、そのなかでも、目につくのは、今川義元や太原雪斎といった名君/名軍師ではなく、この人、今川義元の後を継いだ今川氏真

画像引用:今川氏真(Wikipedia)

この氏真…ゲームでの扱いがひどい…本当にひどい。

ゲームでは、能力値で武将の強さを表現するのですが、もう、ネタのような弱さなのです。

例えば「信長の野望・創造」では、今川氏真は、

  • 今川氏真
  • 統率:11
  • 武勇:23
  • 知力:2
  • 政治:61

と、能力値の合計は1258人中、堂々の1256位! 知力…2??

ちなみに、父親であり織田信長に討たれた今川義元は

  • 今川義元
  • 統率:93
  • 武勇:67
  • 知略:87
  • 政治:98

もう、止めてあげて…、というぐらい、1258人中(今度こそ本当に)堂々の17位の名将として登場します。

ちなみに「創造」内のトップ10は以下の通りです。ビックネームが並んでいますね。

  • 1位 織田信長
  • 2位 武田信玄
  • 3位 毛利元就
  • 4位 北条氏康
  • 5位 德川家康
  • 6位 羽柴秀吉
  • 7位 明智光秀 / 伊達政宗
  • 9位 真田昌幸
  • 10位 長宗我部元親

そもそも能力を数値で表して評価するなどできるのか…など野暮なことはゲームなので置いておいておきます(笑)。氏真は「亡国の愚将」としての評価なのかもしれませんが、見ていて複雑な心境になります。

でも、面白いのは、ここまで極端な能力値を出されると、逆に興味が湧く点です(苦笑)。

イメージはひどいが実はそれほどでも…いやむしろ??

ゲームではひどい扱いですが…、ちょっと調べてみると、いや、なかなか…という点が出てきます。

例えば、文化・芸術・政治・外交面での活躍です。

文化・芸術面

和歌では、「集外三十六歌仙」にも名を連ねる歌い手ですし、

蹴鞠は飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱に師事し、名手として名を知られていました。

剣術に目を向けると、塚原卜伝の新当流に学び、「今川流剣術」の始祖ではないかという説もあるぐらいの腕前でした。

政治面

織田信長は楽市・楽座を実行し、商業を発展させ国を強くしていきましたが、信長のそれに先んじて富士大宮で楽市を実施したのが、氏真だとされています。

外交面

桶狭間の戦いで父・今川義元を打ち取られますが、その後も北条氏との同盟関係を維持することに成功しています。

最後に人望

義元亡き後、松平元康(後の徳川家康)を始めとした家臣の離反が相次ぎ滅亡に追い込まれますが、朝比奈泰朝のように、最後まで亡国の今川家に忠義を尽くした武将も存在しました。

また、家族にも恵まれ、同盟を結んでいた北条氏康の娘・早川殿とは今川家滅亡後も生涯添い遂げています。

歴史に、もしもはありませんが、父・今川義元が京に上洛し、乱世を平定することがあれば、もしかすると、治世の英雄として名を馳せていたかもしれません…。

滅亡後の「屈辱」

今川家の滅亡後には、周囲から見れば「屈辱」ともいえる状況を生き延びます。

まずは、以前は家臣として仕えており、今川家から離反した徳川家康を頼っています。

そして、織田信長より、蹴鞠を披露するように命じられると、公家に交じり、父の仇である織田信長の前で披露した記録も残っています。

現代に生きる私たちには、戦国時代の武将の思いは想像もできませんが、氏真の心中はいかほどだったでしょうか…。

彼は各地を妻とともに流転しましたが、徳川家康から500石の所領を与えられ、生き延び天寿を全うすることとなりました。しかも当時としては驚きの長寿であり、享年77(1615年没)。

彼が残した辞世の句があります。

 なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして

 世の中も、人も、恨むことはない。"この時代に合わなかった"ことこそが、私の罪(とが)なのだから。

 悔しとも うら山し共 思はねど 我世にかはる 世の姿かな

(地位や名誉を失ってしまったが)悔しいとも、羨ましいとも思わない。今はただ、自分の望んだ平和な生活をおくれることに満足している。

彼は、何を考えていたのでしょうか…。

彼は見方を変えれば「名将」だった

今川氏真は今川家滅亡時の君主でした。家を滅亡させた…それは間違いないことでしょう。

しかし、その後の生き方を見ても、彼は77歳を生き、天寿を全うしました。

しかも、夫婦円満、500石と少ないとは言え所領をもらい明治まで家を存続させます。

歴史は勝者によって書かれますが、敗者である氏真や今川家も、見方を変えれば「愚将」ではなく「長生きの名将」になり、歴史の勝者なのかもしれません。

適材適所という言葉があります。もう一度歴史があるのなら、今度は、今川氏真が存分に才能を発揮した世界を見てみたかった…そんな風に思います。

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