精神を見つめる

「良いこと」は本当に「良いこと」? 成績が良くて「怒られた」話。そして、成績が悪くて「褒められた」経験とは。

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学校の成績が悪くて「怒られた」

みなさん、突然ですが、学校の成績は、どうだったでしょうか?

良かった人、悪かった人、極々普通だった人、覚えてすらいない(笑)・・・。いろいろかと思います。

そういう私は、高校最初の英語のテストで、クラス最低点を取りました。14点・・・。点数を公表されて、恥ずかしかった思い出があります。

「試験の結果にご満悦な学年トップ」の写真[モデル:河村友歌]

思い返してみると、私たちは、いつも学校で、成績を点数や順位で評価されてきました。勉強にしろ、スポーツにしろです。そして、点数や順位が良ければ、褒められ、良いこととして評価されてきました。

高校の英語のテストで恥をかいたそのかいあってか、実は、大学に進んだ後、とても成績が良かった覚えがあります。ほとんどすべての科目がAでした。Bを取ったことも片手で数えられる程度です。自慢ではありませんが(本当に!)、大学内でも1~2番の成績だったと思います。

さて、大学3年のある日、私の価値観を転換させる“あること”が起こります。

それは、大学時代の恩師(教授)に呼び出され、一言こう言われました。

学校の成績が良くて「注意」される

「成績が良すぎるね。もう少し落とせないかい?」

「え・・・、え!?(どういうこと??)」

言われた意味が分からない、と混乱する私に微笑みかける教授。私は、それまでの人生で「成績を上げろ」と言われたことはあっても、「下げろ」と言われたことはありませんでした。

それ以上教授は説明してくださらなかったのですが、卒業後、仕事を始めるようになり、もしかしたら、と感じることがあります。

それは、「成績が上がることで見えなくなるものがある」ということです。

きっと教授は、「君は大学に何しに来たのかい?」と問いかけていたのではないでしょうか?

「君は、成績がいい、それはまじめに課題に取り組んでいる証拠。でも、君は大学に何しに来たんだい?」

「例えば、大学に”勉強”しに来たのかい? それなら君の成績には納得だ。しかし、君が大学に”研究”しに来たのであれば…君の成績には疑問だね」

そういうことなのでは、と今は思うのです。

答えのある課題に取り組むことで評価されるのが「勉強」であるなら、答えのない課題を探求するのが「研究」。

「君がここに来る目的は何?」

君は「勉強」したいのかい? それとも「研究」したいのかい?

問いかけていたのは、その違いなのだと思うのです。

一般に良いと思われていること(成績は良いほうが良い)が揺らいだエピソードでした。

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アドラー心理学の名著『嫌われる勇気』でも、こんな例えが出てきます。

  • 昔、背が低いことで悩んでいた哲人。あと10センチでも高ければ、という思いを持っていました。
  • しかし、その悩みを聞いた哲人の友人は下らないと笑います。「お前には人を寛(くつろ)がせる才能がある」のに何を悩んでいるのか、というのです。
  • 背が低いからこそ、相手が「寛ぐ」ことができる――そんな価値観の転換があったのです。

もっと背が高ければ・・・
もっと成績が良ければ・・・
もっと学歴が高ければ・・・
もっと年収が高ければ・・・
もっと背が高ければ・・・
もっと美人なら・・・
 ・・・・・・

もっとほしい・・・

色々な「もっと」、がありますが、果たして、その「もっと」は本当に良いこと、なのでしょうか? あなたが、私たちが本当に望んでいることなのでしょうか?

それとも周りからの評価を基準に決めた「良いこと」でしょうか?

もし、私たちが本当に望んだものでないのであれば、思い切って切り捨てる「勇気」を今後試されることになるかもしれません。

もし、「自由」に生きていきたいと望むのであれば、他人が作った「良いこと」の評価軸で生きていくのではなく、自分が敷いた「良いこと」の評価軸で自分の行動を律していくことになります。

そう考えると、「自由」とはなんとも厳しい言葉です。それでも、その「自由」に向けて一歩を踏み出す勇気を、私たちは日々試されているのかもしれません。

★今日の試してみたいことメモ★

1. 今までに「もっと○○なら」と感じたことのある事柄を思い出す。
2. それがもし達成されたとして、どんな不都合が起こるかを(無理やりにでも)考えてみる。

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