才能の塊
TVで見ない日はない売れっ子の芸能人。人々を感動させる小説家。偉大な漫画家。オリンピックで活躍するようなスポーツ選手。人間国宝にも称される職人。大企業の経営者・・・。
世間には才能の塊と思えるような人たちが溢れていますし、華々しい世間をわざわざ見るまでもなく、日々会う人たちの中にも、自分にはない素晴らしい才能を持っていると感じるものではないでしょうか?
それに比べて自分は…。
比べても自分が変わるわけではないと分かってはいるけれど、それでも無意識のうちに比べている自分がいる。
劣っていると感じると自分が小さく、無価値のような存在に思えてきます。
さて、その時、私たちはどのような言葉を自分にかけ、慰めているでしょうか?
自分に投げかける言葉
「生まれつき<才能>がないんだよ」
「<才能>が違うんだからしょうがないよ」
「才能」という言葉を使ってはいないでしょうか?
「才能」という言葉は、生まれ持った、という意味合いで使っていないでしょうか。
生まれつきの能力・・・、気質・・・。
素晴らしい能力を発揮していると感じる人に対して、「才能」という言葉を使うのは便利な言葉です。もともと生まれ持ったものなのですから、もしそれが無かったとしてもしょうがない。
自分は恵まれなかった。残念。
諦めることができます。
しかし、果たして諦めることが未来を切り開くことになるでしょうか?
「才能」という言葉に逃げて、それがないと「自らを評価する」ことで目を背けてはいませんか?
もしかすると、やらずに諦めていること、一度失敗したけれど続ければもしかすると成功すること、やり方を変えれば目が出るかもしれないこと、一緒に行うメンバーが変われば力が発揮できること…など、まだまだ可能性があるかもしれません。
そんな時、勇気を出すためにちょっと言葉を変えてみるのはどうでしょう?
才能の問題ではなく、それは・・・
今まで「才能がない」と思っていた事柄を、今は「技術がない」だけだ、と言い換えるのです。
元々「才能」がない、からしょうがない。
→
今は「技術」がないだけで、習熟すればうまくいく(かも)。
「才能」には生まれつき決められたものという意味合いが強いですが、「技術」とすると、途端に、練習すればうまくなる、という可能性が感じられないでしょうか?
自分に足りないと感じたものは、すべて「技術」で考えてみる。
人前であがらないのも「技術」
面白くプレゼンできるのも「技術」
早起きできるのも「技術」
笑顔が素敵なのも「技術」
友達を作るのも「技術」
努力を続けられるのも「技術」
楽器が弾けるのも「技術」
新しいアイデアを思いつけるのも「技術」
成績がいいのも「技術」
・・・・・・
もし世界で一番になる、という目標を持っているのであれば、「技術」だけではなく、何らかの「才能」も必要かもしれません。
しかし、今の自分のできる範囲をちょっと広げることに、「才能」など、ほんの少しも必要ありません。
ほんの少しの好奇心があれば、少しでも取り組めば、「技術」は上がっていくのではないでしょうか?
(きっと、好奇心を持つことも「技術」ですね)
「才能」という言葉で諦めていたアレやコレやに、光を当ててみるのはどうでしょうか。より良い、明日のために。
★今日の試してみたいことメモ★
1. 自分の人より劣っていると感じる部分を1つ挙げてみる。
2. その劣っていると感じる部分は、自分に「才能」がないからそう思うのだろうか? 自分に問いかけてみる。
3. もしそうなら、それは、「才能」ではなく、「技術」がないからだ、と言い換えてみる。
4. 感じ方がどう変わるか観察してみる。