感情と向き合う

失業に意味を見い出す! 再就職で目指す人生の立て直し方。

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失業・雇止めは突然に

ラブソングは突然に~、ではないですが……

大学卒業後、10年ほど働いた会社をクビ(雇止め)になったのは、2018年のことでした。どうしようもなく激務ではあったけれど(今思うと完全にブラック)、一緒に働く仲間にも恵まれて、それなりに充実した日々だったのですが…。

それは、2018年1月22日月曜日の14時5分(覚えているものですね^^)

「残念だけど、次の更新ないから」

上司との面接は5分でした。たった5分…。10年働き、5分の面接。10年と5分!! 10年が5分!!

「残念だけど、次の更新ないから」

感じるたのは、虚しさ。そして、ただただ、脱力感。

人間って、一瞬で疲れで動けなくなるものなんですね…。

「残念だけど、次の更新ないから」

「あなたがクビになって嬉しいわ^^」

上司との面談の後、同僚に断り、すぐ(勤務中ですが)妻に電話しました。しかし、妻の返答は、想像の斜め上を行っていました。

私「(開口一番)クビになった」

妻「(一瞬の沈黙)……おめでとう!

私「……????」

妻「私は、あなたがクビになって嬉しいわ

私「……」

妻「今の仕事を続けていても、あなたの身体は持たないし、

笑顔もないし、……あなたは奴隷? 違うでしょ?」

私「……」

妻「もう一回言うわね。

私は、あなたがクビになって嬉しいわ。おめでとう!

○○(上司の名前、この時は呼び捨てでした(笑))にありがとう、

って私の代わりにちゃんと伝えてね!」

(惚気ですね…すみません)。頬を一筋、涙がつたいました。

妻は、二人目の出産が終えたばかり。電話口では、子どもの泣き声が聞こえてきます。

将来を考えれば、不安だらけだったことでしょう。当然。でも、妻は、そう返してくれたのです。

その日は、職場を出る際「ごめんね…」と一言つぶやきました。妻だったり、子どもだったり…。家族の顔が浮かんでは消えました。

ぽっかりと空く穴。あ、胸に穴ってアクンデスネ

それからは、怒とうの日々が始まります。引継ぎ、引継ぎ、引継ぎ…。

上司「退職は決まっても、最後までちゃんとやってってね」

(…いやいや、クビになってみいや!)

分かります。分かりますよ。上司ならそう思いますよね。きっと私が「上司」の立場なら、そう思うのでしょう。至極ごもっとも。でもね……直接、言うかい?

上司の言葉に急き立てられながら、次の担当者に向けて資料を作成しました(風の噂では、そもそも私の後のポストは消滅してしまい、引継ぎの資料も使われなかったようですが…)

そんなこんなで、最後の勤務日。同僚が最後に、と送別会を開いてくれました。

そして、送別会後、最後に10年間働いた職場に立ち寄りました。

これが最後かと思うと、ふと、色々な思いが溢れてくるものですね…。

決して楽しいことばかりではありませんでした。

月火水木金金金。会議は続くよどこまでも~終了予定時刻「25時」??? アレ、1日って24ジカンジャ??? 君がつくったこれね、大変そうだから、ボクの名前でシンセイシトイタカラ……。残業代って何?日本語??

……ん、これって奴隷か?(というか犯罪ですね。労基さん、ここです!!(笑))

思い出すとちょっと腹が立ちますが(笑)、そんな職場でも、自分にとっては、自分なりに一生懸命働いて、人生の少なくない時間を過ごした身体の一部となっていました。

最後、24時を回り、職場を後にした帰り道……見上げた星空が異様に綺麗だったことを覚えています。星が揺れていたのは、涙のせいだけではない、きっと(笑)!

10年。人生をかけて取り組んできた仕事に「サヨナラ」を言うときが来ました……。

とにかく収入を確保しなければならない(子どもがいる)

さて、とにかく、晴れてクビ、無職となりました。32歳。妻と二人の子ども。

でも、生きていかなければなりません。

生きていくためには収入を確保しなければなりません。

しかし、まず最初に行ったこと、それは…

職を探すためにまずやったこと(ゆっくり寝ました)

まずは、とにかく寝ました。

10年分の疲れが、それこそドッと出ました。

肉体的なものでは、ないですね。多分に精神的なものです。

最初の2週間、とにかく寝ました。

ほとんど家から出ることもなく、とにかく寝ました…。

寝ました。

まずは、気力を復活させなくては、それだけを考えていました。

当然ですが、職場から連絡は一通もなく、気持ちは焦るが、仕事での責任が一切ないという状況を、不思議な感覚で日々を過ごしていました

次にやったこと(失業保険の申請にハローワーク)

2週間も死んだように休んでいると、徐々に気力が復活してきます。

気力も復活してくれば、腹も減る。あんなに食欲もなかったのに…(苦笑)。現金なものです。

まずは地元の職安(ハローワーク)に出向き、失業保険の申請をしました。自己都合の退職だと、失業保険を受け取るまでに時間がかかるそうですが、私の場合は「会社都合による解雇」ということで、比較的時間を空けずに給付を受けることができとのこと。

何とか当座の生活費は確保できました。

地盤が不確かではあっても、一時的であっても、寄って立てる場所があることは、心に安定をもたらしてくれます。

早速、再就職に向けて動き出すことができました。

そして動き始める…(友人たちからの助言)

次に、大学時代、仲の良かった友人たちと連絡を取りました。

私「久しぶり! 実は、クビになった!

友人「よし、飯でも食おう」

卒業後は年賀状のやり取りぐらいになってしまっていたのですが、学生時代、仲の良かった悪友(笑)と連絡を取りました。3人とは、学生時代には、一緒に海外旅行をした仲。

みんな勤務地もバラバラでしたが、週末に予定を合わせて東京で落ち合いました。

友人「お前はいつが空いてる?」

私 「全部空いてるよ

時間は有り余っています(苦笑)。社会人になってから、こんなことを言える日が来るとは…。

久しぶりの東京です。田舎から出てくると、人が多いこと、多いこと。人間ってこんなにたくさん存在しているんですね(笑)。

「久しぶりー!」の挨拶もそこそこに、話題は私の今後について。

あーでもない、こーでもない、と話をしていたのですが、ただ状況をまとめて話すだけでも、随分気が楽になりました。

そして、驚いたことは、会った3人とも転職を経験していたこと。理由はクビではなく、3人とも自分から辞職したということでしたが、「何とかなるぞー」の合唱。

友人「なんとかなるぞ! ほら、3人とも何とかなってるだろ?」

まあ、私の場合は、会社に切られ、友人たちの場合は、自分から切っていたので、状況が違うといえば違うのですが、退職して新しい職に就けている、と解釈すれば一緒かもしれません。

話を聞くと、3人とも「人材紹介会社」に登録して情報を集めていたとのこと。

友人「ほらほら、例えばここね…」

言われるままに、スマホを操作していたのですが、店員の「ラストでーす!」の声、みんな明日が早いということで、久しぶりの再会はこれで終わり、となりました…。

再度、東京へ(人材紹介会社の門を叩く)

終電の中で、友人たちから聞いた人材紹介会社に登録しました。

ほろ酔いの中で、歩いて家まで帰るとき、またしても、綺麗な星が…。感傷的になると、私は無意識に空を見上げてしまうものかもしれませんね…。

さて、その次の日、早速人材紹介会社から電話がかかって来ました。まずは、一度カウンセリングをしましょうということになり、丸の内本社に出向きます。

数日前に東京に来たのに……今回も人間が多いです(笑)。東京コワイ…。

カウンセリングでは

・現在の転職市場の動向
・自分の生活と合う職業の種類について
・今までの経験・資格からどうするか、戦略の立て方
・私の強みとして生かせる部分は何か
・今後どのように進めていくか、スケジューリング……などなど

を話し、相談しました。

事前に、カウンセリングの時間は1時間程度ということだったのですが、話も弾み、結局2時間近く話してしまいました(担当のYさん、まとまらない話に付き合ってくれて、ありがとうございました!)

また、私は特に資格もない(履歴書の資格にかけるのは運転免許のみ。あと書くなら英検3級…学生時代に受けたTOEICは360点……うん、書かない方がイイネ)というツブシキカナイ文系だったので、紹介してもらえる仕事があるか少し心配していたのですが、無用でした(笑)。

その日の夜より、早速Yさんの猛プッシュが届きます。

「実は、こんな会社もあるんですよ」

「今までの経験に近いのはこんなところもあります」

「目先を変えて、こんな所はどうですか?」

「こちらの方面から攻めるのも面白いかもしれませんよ?」

当たり前なのですが、よくもまあ、こんなにたくさんの会社があるものだと感心しました。

それと同時に、どれだけ自分の視野が狭くなっていたかも思い知らされました。

その後も、毎日のように会社を紹介してもらい、私も希望の会社にエントリーを行い。先方が興味を示してくれた場合は、面接に臨みます。

最初の面接では、私の持っている経験では先方の要求するスキルと少し開きがあるとのことで残念な結果となりましたが、企業の採用担当の方とも笑顔で話をすることができました。

久しぶりの就職活動。採用担当者とも話ができ、一歩前に進んだことを感じることができました。

他にも面白い面接がありました。なんと……初めて"顔"で落とされました(笑)。

担当者「ごめんなさい。不採用とさせてください(頭を深く下げる)」

私  「……承知いたしました…。あの、…もしよろしければなのですが…理由などご教示いただければ……」

担当者「…いやー、実は顔がダメで…

私  「…???」

担当者「いやいや、島田さん、お会いして一瞬で分かるくらい、

本当に真面目な顔をされているので…。

私どもとしましては、ぶっちゃけますと、

もっと"適当"な顔をされている方のほうがいいんですよ

私&担当者 (一同爆笑)

担当者「いや、実はその理由というのがですね……」

今思うと、面白い面接でした(笑)。成績が良いことが必ずしも良いことではないように、真面目(と思われることが)が仕事の邪魔になることもあるのですね。詳細は伏せますが、その理由というのも面白く、納得の不採用でした(笑)。

そして再就職(一度の人生、やりたいことをやってみよう)

雇止め、友人たちの助言、Yさんとのカウンセリング、企業の方との面接……。

毎日慌ただしく過ごす中で、私もいろいろと考えることが出てきました。

自分がやってみたいことは何なのか、ということです。

折角一度の人生です。人生を振り返って、あれをやっておけばよかった、なんて後悔するのは嫌だということでした。

そんな中、どうしてもやってみたかったのは、介護の仕事でした。

実は、以前、ある2冊の自伝的書籍を読んだことがあり、それに感銘を受けたことを思い出したのです。

1冊は、日本で初のプロゲーマーとなった、梅原大吾氏の『勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」』(小学館101新書)

そして、2冊目は、年齢制限のために一度は将棋のプロ入りを諦めながらも大逆転でプロに編入された今泉健司氏の『介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました』(講談社)

共通していたのは、お二方とも、プロになることが叶わず失意に沈んだ際、介護職という仕事に出会い、取り組まれたことです。

そして、お二人とも、介護での経験がその後のプロ入りに、そして自分の人生に限りなく大きな影響を与えていた、と振り返られていたことでした。

著書を読んだ時の感覚がよみがえってきたのです。

早速、未資格・未経験でも受け入れていただけるところを探し、地元の社会福祉法人を紹介いただき、出向いて面接を行いました。

「今、ちょうど人手を探していたところなの。ぜひ一緒にやりましょう」

トントン話が進み、早速就職が決まりました。そして、介護の日々に奮闘することになります。

老人ホームでは利用者の方との素晴らしい出会いがあり、初めて仕事で、感動で涙を流す、そんな経験をさせてもらいました。(…が、その話はまた後で ^^)

そして1年後・・・自分の意志で一歩を踏み出す。

日勤、夜勤、遅番、早番と一通りのシフトに一人で入れるようになっていました。後輩も入ってきており、時に悲しいこともありますが(やはり老人ホームという特性上、利用者の方との"お別れ"はやってきます)、みんなの笑顔と一緒に働くことができました。

しかし、充実した日々と同時に、フツフツと、自分がやってみたい仕事、残りの人生の時間を思い描くことが増えました。

その想いは大きくなり続け…、現場のリーダー&施設長にも相談し、今度は1年前とは違い、自分の意志で退職を決めました。

退職の際。私の退職に、涙まで流してくれる職員の方がいました…。そして、

「いつでも戻って来て!」

何人もの職員の方にそう言っていただけました。

「あなたの夢を応援するから。でも、もしこの業界に戻って来ることがあったら、そのときは、必ずウチに戻ってくるんだよ! 絶対だよ!」

そう言われた時には、私も思わず涙が出ました。

雇止めにあった会社で最終日に流したあの涙とは、また違った涙でした。

確かに1年間という時間と経験は短いものかもしれません。介護という仕事のその深さを理解するには、到底時間が足りないでしょう。

それでも、介護で様々なことを教わり、学び、苦悩し、次の人生に向けて、歩みを始めました(そして、その道中、学生時代TOEIC360点の私が、なんと通訳の仕事(嘘じゃないですよ!)でお金をいただくこともできました。…が、その話はまた後で ^^)

人生を、簡単に終わらせない

クビ(雇止め)の宣告を受けてから約5か月。新しく介護の仕事に就くまでのこの時間は、自分にとって大切な時間・財産になりました。

確かに、最初は、自分が好きな仕事でもあったので、辞めざるを得なかったのは残念でした。心底残念でした。

でも、今は、あの時クビ(雇止め)になってよかったと思えます

あの時クビにならなければ、介護職の1年間で、感動の涙を流すこともありませんでした。

現在、介護の仕事は退職し、収入も当時より随分減っていますが、一度の人生、精一杯楽しみながら、仕事をして生きていこうと思えています。

今までの出会いに感謝、とともに歩む日々です。

私の背中を押してくれる家族、3人の友人、紹介会社のYさん、老人ホームのみんな(そして、皮肉ではなく、クビにしてくれた会社も)。ありがとうございます。

簡単に、人生を諦めるわけにはいきません。

井伏鱒二が訳した漢詩「勧酒」では、

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二「勧酒」より

という一節が出てきます。退職を経験すると、ヒシヒシと感じます。退職が決まった瞬間に、関係が一瞬で切れていく…。虚しさを感じる瞬間でした。

「サヨナラ」だけが人生…確かにそうであるかもしれません。…あるかもしれませんが、出会いもまた、同様にエキサイティングです。興奮します^^

別れの虚しさで足を止めてしまうのはもったいないかもしれません。こんなにもエキサイティングな出会いが待っているのですから……。一歩、勇気を出して踏み出してみませんか?

この人生、簡単に諦めで終わらせてなるものか!!…です。

生きていれば、必ず変化は起こるのですから。

ありがとうございました。

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